IPOでは、企業の将来性や成長性に注目して投資判断をする人も多いのではないでしょうか。
しかし、ベンジャミン・グレアムは『証券分析』の中で、株式を発行する企業だけでなく、証券を引き受けて販売する投資銀行や、経営陣に与えられる報酬にも目を向ける必要があると指摘しています。
特に問題視したのが、株式とワラントを組み合わせた資金調達や、引受業者・経営陣への過大な報酬です。
本記事では、当時の具体的な証券発行事例をもとに、投資家が負担する本当の資金調達コストや、IPOに潜む利益相反について解説します。
- 株式とワラントを組み合わせた資金調達の問題点
- 3つの経営コスト
- 投資銀行は誰の利益を守るべきだったのか
- 投資銀行は誰のために証券を販売するのか
- ブルースカイ・プロモーションから「実在企業の過大評価」へ
- 非倫理的な投資銀行が企業経営に与えた影響
- まとめ
- おわりに
株式とワラントを組み合わせた資金調達の問題点
- ひとつは株を買った人が支払ったお金と引き換えに何を得るのかということに関して、もうひとつは、これら証券を募集発行する投資銀行の立場に関して━━である。
本書の初版が出版された当時は、投資会社が新株を発行して資金を調達すると同時に、関係者(プロモーター、引受業者、経営陣)にワラントを付けて発行する方法が一般的でした。
もともとは好況期に広がった資金調達手法でしたが、景気が恐慌へと向かっても、その慣行は続いていました。
やがてこの方法は、特定の業種だけに限らず、株式による資金調達の標準的な手法になりかねないほど広がっていきます。
しかし、グレアムは、こうした資金調達方法を単純に受け入れるのではなく、「この方法によって、実際には誰がどのような利益を得ているのか」を考える必要があると指摘しています。
その理由は、大きく2つあります。
一つは、株式を購入した投資家が、支払った資金と引き換えに何を得ているのかという問題です。
そしてもう一つは、こうした証券を引き受け、投資家に販売する投資銀行がどのような立場にあるのかという問題です。
3つの経営コスト
- 株式を購入した人たちは、次の3つの形で経営陣に資金を差し出すよう求められたことになる。
- 株に対して彼らが支払った金額と企業が受け取った金額の差によって。
- 証券発行サイドに向けて発行されたオプション・ワラントの価値によって。
- 幹部が受け取る給与および企業という形態をとることでかかる特別税によって。
1929年1月に設立されたペトロリアム・コーポレーションをはじめ、当時新しく設立された投資会社には、大きく2種類の「資産」がありました。
それは、キャッシュ(現金)と経営陣です。
一見すると、投資会社の資産といえば保有している証券や現金を思い浮かべます。しかし、新しく設立されたばかりの会社には、まだ十分な運用実績がありません。
そのため、投資家にとって経営陣がどのような人物なのかは、会社の価値を左右する重要な要素になります。
ところが、1株34ドルで株式を購入した投資家は、単純に会社の資産に34ドルを投じたわけではありません。
グレアムは、投資家が実質的に次の3つの形で経営陣に資金を提供することになっていたと指摘しています。
- 株式の販売価格と、会社が実際に受け取った金額との差額
- 証券の発行・販売側に与えられたワラントの価値
- 経営幹部に支払われる給与や、会社という形態をとることで発生する特別な税負担
①投資家が支払うプレミアムは何によって正当化されるのか
ここで注意したいのは、1株あたり3ドルの差額を実際に受け取ったのは、経営陣ではなく証券の引受会社だったという点です。
しかし、株式を購入する投資家の立場から考えると、問題は少し違ってきます。
投資家は、企業が実際に受け取る資金以上のお金を支払っています。
では、なぜその余分な金額を支払ってもよいのでしょうか。
グレアムによれば、それを正当化できるのは、「この経営陣には、それだけのお金を払う価値がある」という株主の信念です。
つまり、投資家は単に会社の現金や保有資産だけを買っているのではありません。
「この経営陣なら、会社に入る資金を有効に運用し、将来的にそれ以上の価値を生み出してくれるはずだ」という期待に対しても、お金を支払っていることになります。
②証券発行サイドに与えられたワラントの価値
もう一つの問題は、証券の発行・引受側に与えられたオプション・ワラントです。
このワラントは基本的に、5年間にわたって、企業価値の上昇による利益の3分の1を受け取る権利を保有者に与えるものでした。
1929年当時の状況を考えれば、5年間という長い行使期間が設定されているため、企業が将来成長すれば、その恩恵を受ける十分な機会があります。
ここで重要なのは、このワラントには実質的な価値があったということです。
そして、その価値はどこから生まれたのでしょうか。
グレアムは、ワラントの価値は実質的に普通株の当初価値から取り分けられたものだと考えています。
つまり、投資家にとってワラントは「株式に無料で付いてくるおまけ」ではありません。
ワラントに価値があるということは、その分だけ普通株に帰属する価値が小さくなることを意味します。
前章で用いた仮定的な計算式を使うと、162万5,000単位のワラントが存在することによって、普通株の価値はおよそ6分の1減少することになります。
この計算は、普通株とワラントの実際の市場価格を比較することによっても、おおむね裏付けられました。
したがって、最初に企業が受け取った1億75万ドルの現金を考えると、その価値は大まかに、
- 6分の1 → ワラントに帰属する価値
- 6分の5 → 普通株に帰属する価値
と考えることができます。
このように考えると、株式発行時にワラントが付与されることは、単に「投資家に魅力的な特典を付けた」という話ではありません。
ワラントに価値があるほど、その価値の分だけ普通株主の取り分が薄まるということです。
株式とワラントをセットで発行する場合には、企業がいくら資金を調達できたかだけを見るのではなく、その資金と引き換えに、どれだけの価値をワラント保有者へ渡しているのかまで確認する必要があります。
③ 経営陣への給与やその他の負担
ここまでの分析をまとめると、ペトロリアム・コーポレーションの株式を購入した投資家は、単に会社の事業に資金を投じたわけではありません。
自分たちの資金を運用する経営陣の能力に対して、次のようなコストを負担することになりました。
① 資金調達コスト(1株あたり3ドル) 975万ドル
② ワラントの価値(残りの6分の1) 1,679万ドル
③ 経営陣の給与など、将来的に発生する負担 ?
合計 2,650万ドル+α
①の資金調達コストでは、投資家が支払った金額のうち、1株あたり3ドルが企業そのものには入らず、証券の引受会社に渡っています。
②では、発行されたワラントに価値があるため、その分だけ普通株主に帰属する価値が減少します。
さらに③として、経営陣への給与や、企業という形態を維持することによって発生する特別な税負担などがあります。
これらをすべて合わせると、一般投資家がこの企業に投資した金額の25〜30%程度が、企業の事業そのものに向かわず、さまざまなコストとして失われてしまうと考えることができます。
ここでグレアムが問題にしているのは、単純に「コストが高い」ということではありません。
これらの負担によって、将来の利益が減少するだけでなく、投資家が最初に拠出した資本そのものが犠牲になっているという点です。
たとえば100万円を投資して、その資金を使って企業が利益を生み出すのであれば、投資家としても納得できます。
しかし、投資した時点ですでに25〜30%程度が資金調達費用やワラント、経営陣への報酬などに振り向けられてしまうのであれば、残された資本はそれだけ少なくなります。
つまり、投資家が負担するのは単なる「経営の手数料」ではありません。
投資家が企業に託した資本そのものの一部が、企業価値を生み出す前に失われてしまう。
これこそが、グレアムがこうした資金調達の仕組みに対して問題を提起している理由なのです。
高い経営コストに見合う経営能力はあったのか
- この手の資金調達方法は、株を買った人たちにとって満足できるものではない。
- その理由は、彼らが経営のために支払う合計コストは実際に得られる働きと比較すると不釣り合いに高いからだけではなく、その使途が明らかにされておらず、かなりの部分が実はワラントというごまかしのために利用されているからである。
ここまでの検討をもう一歩進めて、ペトロリアム・コーポレーションが実際にどのような経営能力を享受できたのかを考えてみましょう。
同社の取締役会は、金融界の著名人たちによって構成されていました。
そのため、投資家からすれば、「これだけの人物が経営に関わるのだから、投資判断にも大きな価値があるだろう」と考えるのは自然です。
しかし、グレアムは、この経営能力の価値を考えるうえで、2つの大きな問題があったと指摘しています。
取締役の経営への関与には限界があった
一つ目は、取締役たちが会社の経営に完全に専念することを求められていたわけではなく、実際の経営に対する影響力も限定的だったことです。
金融界で著名な人物が取締役に名を連ねているからといって、彼らが日々の経営判断に深く関与しているとは限りません。
名前の知名度と、実際に提供される経営能力は別の問題です。
さらに、彼らの専門的な判断力が十分に発揮されるためには、自由に判断できる環境も必要です。
しかし、実際にはさまざまな制約や要求が存在していました。
そのため、仮に取締役たちが優れた投資判断能力を持っていたとしても、その能力を十分に発揮できる状況ではなかったと考えられます。
投資対象が限定されていた
そして、さらに大きな問題がありました。
それは、同社の投資対象が石油業界に限定されていたことです。
投資会社として幅広い企業を分析・比較できるのであれば、取締役の投資判断力を活用する余地も大きくなります。
しかし、特定の業界だけを投資対象とするのであれば、そもそも分析や投資判断を行う範囲が大きく制限されます。
実際、同社は当初、資金の大部分をプレーリー・パイプライン社とプレーリー・オイル・アンド・ガス社という2つの関連企業に投資しました。
その後は、この2社の後継企業であるコンソリデーテッド・オイル社への投資に集中していきます。
こうなると、複数の企業や業界を比較して最も有望な投資先を選ぶというよりも、特定の企業を中心とした持ち株会社に近い存在になってしまいます。
持ち株会社に高額な経営報酬は必要なのか
持ち株会社では、最初の企業買収や投資が完了してしまえば、その後に必要となる経営判断は限定的になりがちです。
そうであれば、経営陣に高額な報酬やワラントを与えてまで、経営能力を確保する必要が本当にあるのでしょうか。
つまり、経営陣への報酬が高いこと自体が問題なのではなく、その報酬に見合うだけの仕事や価値が実際に提供されているのかが重要なのです。
投資家にとって本当に満足できる資金調達だったのか
以上を踏まえると、ペトロリアム・コーポレーション・オブ・アメリカのような資金調達方法は、株式を購入した投資家にとって必ずしも満足できるものではありません。
問題は、単純に「経営コストが高かった」というだけではありません。
投資家が経営のために負担したコストが、実際に提供された経営能力と比べて不釣り合いに大きかったことが問題なのです。
さらに、そのコストが具体的に何に使われているのかも明確ではありませんでした。
特に大きな問題は、その一部がワラントという形で証券の発行・引受側などに与えられていたことです。
したがって、投資家は「優秀な経営陣に対して相応の報酬を支払っている」と思っていても、実際にはその資金のかなりの部分が、投資家が期待した経営サービスとは別のところへ流れていた可能性があります。
なお、ここで重要なのは、ペトロリアム・コーポレーションの投資成果が実際に芳しくなかったこととは、この議論を切り離して考える必要があるという点です。
結果的に投資で失敗したから「経営コストが高すぎた」と批判しているわけではありません。
たとえ投資成果が非常に良かったとしても、投資家が支払った資金に対して、どのような価値が提供されたのかを検証することはできます。
これは現在の投資でも重要な視点です。
「優秀な経営陣だから高い報酬を払う」のではなく、「その報酬に見合うだけの価値を本当に生み出しているのか」を確認する。
グレアムが問題にしているのは、まさにこの点なのです。
投資銀行は誰の利益を守るべきだったのか
- 投資会社の資金調達では、その性質上、株式発行におけるこれら3つの規範が守られるべくもなかった。
ペトロリアム・コーポレーション・オブ・アメリカの事例から、もう一つ考えておきたい重要な問題があります。
それは、このような企業の証券を募集・発行する投資銀行が、どのような立場にあったのかという問題です。
そして、1920年代後半の状況は、それ以前と比べてどのように変化していたのでしょうか。
かつての投資銀行には3つの原則があった
1920年代後半以前、高名な引受業者が株式を公募する際には、次の3つの原則が重視されていました。
① 発行企業には十分な実績があること
引受先の企業は、しっかりとした定評を得ていなければなりませんでした。
過去の業績や財務状態を確認したうえで、その発行価格で株式を購入することが妥当だと判断できるだけの実績が求められていたのです。
② 投資銀行は株式購入者の代表として行動すること
投資銀行は、何よりもまず株式を購入する投資家の側に立つことが求められていました。
そのため、企業経営陣とは一定の距離を保ち、経営陣に不必要に高額な報酬が支払われていないか、株主の利益を損なうような経営方針が採用されていないかを監視することも、投資銀行の役割と考えられていました。
つまり、単に企業の株式を販売するだけではなく、投資家を保護することも重要な仕事だったのです。
③ 投資銀行の報酬は適正な水準であること
投資銀行が受け取る報酬についても、相応の金額であることが求められていました。
その報酬は、あくまで企業が資金を調達するために支払う資本調達コストだからです。
この3つの原則が守られていれば、株式による資金調達について、「どこまでが適正で、どこからが問題なのか」という線引きも比較的明確でした。
新規企業の公募には厳しい壁があった
当時のウォール街には、新しく設立されたばかりの企業は、原則として一般投資家向けに公募すべきではないという考え方がありました。
新企業には十分な業績実績がなく、財務状態や事業の将来性を客観的に判断することが難しいからです。
こうした保護手段は、投資家が新規事業へ資金を投じる際に欠かせないものと考えられていました。
そのため、新しい企業の証券を一般投資家向けに発行しようとするのは、ほとんどの場合、“ブルースカイ”と呼ばれる投機的なプロモーターや、信用力の低い小規模な引受業者に限られていました。
そして、このような証券発行の多くは、一般投資家から集めた資金の一部を、過大な資金調達コストとして発行側が取り込む構造になっていたため、グレアムは完全な詐欺、あるいはそれに近いものだったと厳しく評価しています。
投資会社の登場で、3つの原則が機能しなくなった
ところが、投資会社による資金調達では、先ほどの3つの原則を守ることが難しくなりました。
当時の投資会社は新しいタイプの企業だったため、そもそも十分な過去の実績がありません。
さらに、投資銀行としての役割も、一般の企業とは異なり、投資会社自身が担うケースが多かったのです。
その結果、資金調達にかかる費用や経営陣への報酬について、比較できる明確な基準がありませんでした。
しかも、その報酬を決めるのは、企業と独立した第三者ではなく、実質的にはその報酬を受け取る側自身でした。
これでは、株式を購入する投資家の利益が十分に守られることを期待するのは難しくなります。
本来なら、企業と引受業者の間で条件を交渉し、投資家にとって不利な条件を排除する役割が必要です。
しかし、両者が実質的に同じ側に立っていれば、「投資家にとって適正な条件なのか」をチェックする人がいなくなってしまいます。
1928〜29年の熱狂が問題をさらに大きくした
さらに状況を悪化させたのが、1928〜29年の金融市場を支配していた、過度に楽観的で自己中心的な風潮でした。
株価が上昇し続ける環境では、投資家も企業も「多少条件が悪くても、将来の値上がりで取り戻せる」と考えやすくなります。
その結果、通常なら問題視されるような高額な資金調達コストやワラントの付与も、受け入れられやすくなっていきました。
つまり、投資家を保護するはずだった仕組みが弱まったところに、市場全体の強気相場が重なったのです。
この状況では、企業がどれだけ有利な条件で資金を調達できるかが優先され、株式を購入する投資家がどれだけの価値を受け取れるのかという視点が後回しになってしまいます。
グレアムが問題にしているのは、単に「投資銀行が高い手数料を取った」ということではありません。
投資銀行が本来果たすべき投資家保護の役割を失い、企業や発行側と一体となって証券を販売するようになれば、一般投資家は非常に不利な条件を受け入れざるを得なくなる。
ペトロリアム・コーポレーションの事例は、まさにその危険性を示しているのです。
投資銀行とIPOの利益相反を考える
- 今では、名のある業者が、過去の実績を持たない新興のあるいは実質的に新興の企業の株を、将来的な期待利益という尺度のみを基準に、喜んで売ろうとする。
- つまり、投資銀行は株の買い手を第一に考えた行動などしていないということに他ならない。
- 重要なポイントは、投資銀行は自らのために一般大衆から資金を調達しているということである。
こうしたさまざまな要因が重なった結果、金融市場では極端な混乱が生じました。
そして、その影響は好況期に設立された投資会社の資金調達だけにとどまりませんでした。
グレアムがより深刻な問題として捉えていたのは、こうした株式ファイナンスのいかがわしい慣行そのものが、金融市場全体に広がっているように見えたことです。
1933年当時の証券発行の状況を調べれば、保守的なアナリストは、決して楽観できない状況だと判断したでしょう。
なぜなら、当時は名のある投資銀行でさえ、十分な過去の実績を持たない新興企業、あるいは実質的に新興企業と変わらない会社の株式を、将来の期待利益だけを根拠として一般投資家に販売しようとしていたからです。
これは、投資銀行が必ずしも株式の買い手を第一に考えて行動していなかったことを意味します。
本来であれば、投資銀行は投資家の代理人として、発行企業と一定の距離を保ちながら、「この価格で購入する価値が本当にあるのか」を厳しく検討する必要があります。
ところが、新興企業の側も、投資家の資金を預かる投資銀行と対等な立場で交渉できるような独立した存在とは限りません。
さらに問題なのは、投資銀行自身が、その新しい事業のプロモーターや所有者に近い立場になる場合があることです。
そうなると、投資銀行は投資家の利益を守る立場であると同時に、証券を発行する側の利益を得る立場にもなります。
ここには明らかな利益相反の問題があります。
グレアムが特に問題視しているのは、投資銀行が自らの利益のために、一般大衆から資金を集める構造になってしまうことです。
投資家から見れば「将来性のある企業への投資機会」を提供してもらっているように見えても、実際には、証券を販売する側がより大きな利益を得るために、その証券が一般投資家へ売り出されている可能性があります。
現代のIPOにも当てはまるのか
このグレアムの指摘は、現在のIPOを考えるうえでも興味深い視点だと思います。
もちろん、1920年代の米国市場と現在の日本のIPOを、そのまま同じものとして扱うことはできません。現在は開示制度や引受審査など、当時とは異なる投資家保護の仕組みがあります。
それでも、「このIPOで誰が利益を得るのか」という視点は、現在でも重要ではないでしょうか。
IPOでは、企業は資金を調達し、既存株主や創業者は株式を売却し、証券会社は引受・販売業務によって収益を得ます。
一方、一般投資家は、その株式を提示された価格で購入することになります。
だからこそ投資家としては、「将来性がある会社だから買う」というだけではなく、
「この会社は、なぜ今この価格で株式を公開するのか」
「企業が実際に受け取る資金はいくらなのか」
「既存株主の売出しはどの程度あるのか」
「証券会社や発行側には、どのような経済的インセンティブがあるのか」
といった点まで確認する必要があります。
IPOは、新しい企業に投資できる貴重な機会である一方、投資家にとって魅力的な証券を提供することと、発行側・販売側にとって利益の大きい取引を成立させることは、必ずしも同じではありません。
この点を意識することは、90年以上前のグレアムの議論から、現在の投資家が学べる重要な教訓の一つだと思います。
投資銀行は誰のために証券を販売するのか
- 彼らは自らのために企業の創設者と取引を行い、次に一般大衆と別の取引を行なって企業側に約束した資金を調達する。
- しかし彼らの受け取る報酬のまさにその大きさが、彼らの一般投資家との関係に変化をもたらしているのである。
- というのは、その金額次第によって、株の買い手は投資銀行を本質的に自分たちの代表者だと考えることもできるし、あるいは引受会社である彼らをビジネス継続のための資金調達を目的とする「企業のプロモーター兼所有者兼経営者」だととらえることも可能だからだ。
- 引受業者兼プロモーターの報酬の一部としてストックオプションを用いるというやり方は、人を欺く新手のペテンの一形態だ。
ここまでの議論をさらに突き詰めると、投資銀行は2つの顔を持っているように見えてきます。
一方では、企業の創設者や経営陣と取引を行い、もう一方では、一般投資家に証券を販売して、企業側に約束した資金を集めます。
もちろん、投資銀行がその仕事に対して報酬を受け取ること自体は当然です。
問題なのは、その報酬がどの程度の大きさになるのかということです。
報酬の水準によっては、投資銀行を「投資家の利益を守る代表者」と見ることもできます。
しかし、もし証券の発行によって投資銀行自身が大きな利益を得られるのであれば、投資銀行はむしろ、「企業のプロモーター、所有者、経営者」に近い立場と考えるべきなのではないか、とグレアムは問題を提起しています。
もし後者であるなら、一般投資家の利益が深刻な影響を受ける可能性があります。
情報開示だけで投資家を守れるのか
1933年証券法は、証券購入者を保護するため、企業や証券発行に関する重要な事実を開示させる仕組みを設けました。
実際、登録書類には事業内容や財務状況だけでなく、役員報酬、オプション、引受会社への手数料など、投資判断に関係するさまざまな情報が含まれることになっています。
もちろん、投資家に十分な情報が提供されることは重要です。
しかし、「情報がすべて開示されていること」と「一般投資家がその情報を正しく評価できること」は別問題です。
長大な目論見書を一般投資家が隅々まで読み、その内容から企業の実質的な価値や証券発行の問題点を正確に判断するのは簡単ではありません。
1933年証券法も、証券そのものの投資価値を保証したり、SECが「この証券は良い投資である」と判断したりする制度ではありません。
基本的な目的は、重要な情報を開示させ、投資家がリスクを判断できるようにすることです。
だからこそグレアムは、完全な情報開示だけでは十分ではないと考えました。
証券発行は「手品」なのか
グレアムは当時の資金調達の仕組みを、一般大衆がその仕組みを十分に理解していないことを前提とした、手品師のマジックにたとえています。
表面上は、「将来性のある企業への投資機会」が提示されています。
しかし、その裏側では、
- 投資家がいくら支払うのか
- 企業には実際にいくら入るのか
- 引受会社はいくら受け取るのか
- 経営陣にはどのような報酬が与えられるのか
- ストックオプションによって誰に価値が移転するのか
といった問題が存在します。
これらを一つひとつ確認しなければ、投資家が実際に何を買っているのかは分かりません。
特にグレアムが問題視したのが、引受業者兼プロモーターへの報酬としてストックオプションを与える仕組みです。
現金による手数料だけなら、その金額を資金調達コストとして比較できます。
しかし、株式やオプションという形で報酬を与えれば、その価値が見えにくくなります。
その結果、投資家から見れば「発行コストがそれほど高くない」ように見えても、実際には将来の株主価値の一部が発行側へ移転している可能性があります。
次の事例で具体的に考える
ここまでの議論は、あくまで一般的な問題提起です。
そこでグレアムは、1933年中に行われた新規株式公開の具体例を取り上げ、その証券発行の仕組みを詳しく分析していきます。
この事例を検討することで、新規公開株にはどのような特徴があり、投資家は何を確認すべきなのかが、より具体的に見えてきます。
単純に「将来性がありそうだから買う」のではなく、
「投資家が支払ったお金は、最終的にどこへ行くのか」
「その価格で、投資家は何を受け取るのか」
を確認する。
これは、90年以上前のグレアムの議論ですが、IPOを分析するときにも非常に重要な視点だと思います。
事例━━モーキン社
- 約26%というこの資金調達費用は、資本調達のために有名企業が支払う金額と比較して、明らかに多すぎる。
ここで、1933年に行われた新規株式公開の具体例を見てみましょう。
この企業は、禁酒法が施行される何年も前からモーキン一族が営んできた酒類輸入業を再建することを主な目的として、1933年7月に設立されました。
新会社では、5万5,000株の普通株式が1株6.75ドルで公募されました。
ところが、その6.75ドルのうち、会社が実際に受け取ったのは5ドルです。
残りの1.75ドルは、販売手数料や引受業者の利益として、証券発行側に残りました。
つまり、表面的な資金調達コストは、
1.75ドル ÷ 6.75ドル ≒ 26%
です。
これは、著名企業が資本を調達する際に負担する一般的なコストと比較して、かなり高い水準でした。
しかし、問題はこれだけではありません。
実際の資金調達コストは26%ではなかった
- しかしモーキンの資金調達にはこれ以外にも、株式購入者にとってさらに重要な要素が含まれていた。要約すると次のようなことだ。
- 1万4000株を1株当たり1ドルで購入できるオプションが、引受業者に渡された。
- 3万株を1株当たり7ドルで購入できる、約2年間有効の第二のオプションが、引受業者に渡された。
- 前任会社の全資産(87万6000ドルと“評価”され、バランスシート上では43万8000ドルとして計上されていた、商標名および10万8000ドルにすぎない有形資産など)に対して、旧オーナーたちに新会社の株式17万6000株がすでに発行されていた。
この株式発行には、引受業者に対してさらに2種類のオプションが与えられていました。
- 1万4,000株を1株1ドルで購入できるオプション
- 3万株を1株7ドルで購入できる、約2年間有効なオプション
特に重要なのが、最初の1万4,000株のオプションです。
引受業者は、1株1ドルという非常に低い価格で株式を取得できます。
そして、その株式をすぐに売却することを想定すれば、このオプション自体に大きな経済的価値があります。
そのため、単純に「5万5,000株を1株5ドルで会社に売った」と考えるのは適切ではありません。
実質的には、引受業者が1万4,000株を1株1ドルで取得できる権利まで受け取っているためです。
これを考慮すると、モーキン社は実質的に、
6万9,000株を発行して、1株あたり約4.20ドルを受け取った
のと同じような経済的結果になります。
つまり、表面上は26%だった資金調達コストが、実質的には募集価格の約38%にまで膨らみます。
さらに、3万株を1株7ドルで購入できる2つ目のオプションにも経済的価値があります。
したがって、このオプションの価値も含めれば、実際の資金調達コストはさらに大きくなります。
旧オーナーには大量の株式が発行されていた
- 前任会社の全資産(87万6000ドルと“評価”され、バランスシート上では43万8000ドルとして計上されていた、商標名および10万8000ドルにすぎない有形資産など)に対して、旧オーナーたちに新会社の株式17万6000株がすでに発行されていた。
もう一つ、証券分析の観点から非常に重要なのが、前身企業のオーナーに対して発行された大量の株式です。
新会社では、前身会社が保有していた資産と引き換えに、旧オーナーたちへ17万6,000株もの株式が発行されていました。
前身会社の資産は、87万6,000ドルと「評価」されていました。
しかし、その中には商標などの無形資産が含まれており、バランスシート上では43万8,000ドルとされていました。
一方、実際の有形資産はわずか10万8,000ドルにすぎませんでした。
仮に有形資産だけを基準に考えるなら、旧オーナーたちは17万6,000株を、1株わずか62セント程度で受け取った計算になります。
もちろん、将来の収益力を考えれば、長年使われてきた商標やブランドに価値がある可能性はあります。
しかし、その無形資産に本当に62セントと6.75ドルの差を正当化できるほどの価値があったのかについては、慎重に考える必要があります。
一般投資家は何を買わされたのか
ここまでを整理すると、この証券発行の構造が見えてきます。
一般投資家は、十分な収益実績を持たない企業の株式を1株6.75ドルで購入することになりました。
その結果、市場からは、この企業に約167万ドルの価値を認めることが求められたことになります。
しかし、その企業が保有する有形資産は42万4,000ドル程度でした。
もちろん、企業価値は有形資産だけで決まるものではありません。
将来の収益力、ブランド、商標などの無形資産にも価値があります。
それでも、一般投資家が支払う価格と、企業が実際に保有する資産との間には、非常に大きな差があります。
グレアムが問題にしているのは、この差額です。
募集価格のかなりの部分が、販売手数料やオプション、そして企業側・証券発行側に与えられるプレミアムとして構成されていると考えられるからです。
つまり、投資家は単純に「企業の資産」を買っているわけではありません。
証券を発行するためのコストや、発行側に与えられた権利、さらに経営陣や旧オーナーに与えられた価値まで含んだ価格を支払っているのです。
一般投資家にとって2つの問題
この事例から、こうした資金調達方法が一般投資家にもたらす問題が2つ浮かび上がります。
第一は、取引の本当の条件が見えにくくなっていることです。
表面的には「1株6.75ドルで株式を購入する」という単純な取引に見えます。
しかし実際には、引受手数料、オプション、旧オーナーへの株式発行など、さまざまな条件が組み合わされています。
そのため、投資家は自分が実質的にいくらを支払い、その対価としてどれだけの企業価値を受け取っているのかを把握しにくくなります。
第二は、引受業者と企業経営陣の間に、十分な距離が保たれていないことです。
本来なら、投資銀行は投資家の立場から企業経営陣をチェックし、発行条件が妥当なのかを厳しく検討する役割を担うはずです。
ところが、引受業者自身がオプションなどを受け取る立場になると、企業側と投資家側の間に立つというより、企業側と利害を共有する存在になってしまう可能性があります。
情報開示だけでは十分なのか
ここからグレアムは、さらに重要な問題を指摘しています。
法律によって情報開示が義務づけられていたとしても、それだけで投資家が十分に守られるとは限りません。
情報が開示されていても、長大な目論見書の中から、
「実際の資金調達コストはいくらなのか」
「オプションにはどれだけの価値があるのか」
「旧オーナーにどれだけの株式が渡っているのか」
「一般投資家が支払う価格は、企業の資産や収益力に対して妥当なのか」
といった点を読み取り、分析するには相応の知識と経験が必要だからです。
だからこそ、グレアムは、単に「情報がすべて開示されているから安心」とは考えませんでした。
かつて投資家が得ていた安心感は、経験豊富で信頼できる投資銀行が、発行企業との間に一定の距離を保ち、投資家の利益を守るために発行条件を吟味することによって生まれていたと考えたのです。
この事例から学べるのは、IPOを見るときに募集価格だけを見てはいけないということです。
公募価格がいくらなのかだけでなく、
「会社には実際にいくら入るのか」
「引受会社にはどのような報酬やオプションが与えられるのか」
「既存株主や創業者にはどれだけの株式が渡るのか」
まで確認して、初めて投資家にとっての本当の条件が見えてきます。
ブルースカイ・プロモーションから「実在企業の過大評価」へ
- 金を出した犠牲者が実際に手に入れたのは「ブルースカイ(青空の一片ほどの価値もない証券)」であり、それ以外の何物でもなかった。
かつての証券詐欺では、そもそも価値のない企業や事業を、強引な販売方法によって投資家に売りつけるケースがありました。
こうした証券は、グレアムの時代に「ブルースカイ(Blue Sky)」と呼ばれていました。
文字どおり「青空の一片ほどの価値もない」という意味で、投資家が大金を支払っても、実際にはほとんど価値のない証券しか手に入らないということです。
当時の詐欺的なプロモーターは、巧妙な金融技術を使う必要さえありませんでした。
強引な販売方法や、「あの有名企業の創業者も最初はこのような事業から成功した」といった成功物語を利用すれば、投資家を引き込むことができたからです。
しかし、連邦政府や州政府による規制が強化されるにつれて、こうした露骨な証券詐欺は以前ほど簡単にはできなくなりました。
そこで登場したのが、まったく価値のない企業ではなく、実在する企業を過大な価格で売り出す方法です。
実在する企業でも、価格が高すぎれば問題になる
- これら詐欺行為に対する連邦および州による規制が強化されたことで、違ったタイプの証券プロモーションが行われるようになってきた。
- 完全に無価値なものを売り出すかわりに、プロモーターは適正価格の何倍もの価格で売ることができる実在企業を選ぶ。
この方法の厄介なところは、必ずしも企業そのものが架空ではないことです。
実際に事業を行っている会社を選び、その企業が持つ資産や収益力を材料にして、実際の価値よりもはるかに高い価格で株式を販売します。
つまり、
「価値がゼロの会社を売る」
のではなく、
「価値のある会社を、価値以上の価格で売る」
わけです。
この場合、法律に明確に違反することなく、投資家が大きな損失を被る可能性があります。
特に問題になるのが、投資家が支払った金額のうち、実際に企業へ入る資金がわずかしかないケースです。
残りが販売手数料やプロモーション費用、その他の発行コストとして発行側や販売側に流れてしまえば、投資家が支払った金額と企業に残る資金との間に大きな差が生まれます。
これでは、企業がその資金を使って十分な利益を生み出さない限り、投資家が支払った価格に見合う価値を得るのは難しくなります。
なぜ石油や鉱山会社が利用されたのか
このような証券プロモーションの対象として、グレアムは石油や鉱山などの新規開発事業を挙げています。
こうした事業は、将来どれだけ利益を生み出せるのかを一般投資家が正確に判断するのが難しいからです。
例えば石油会社の場合、一時的に大量の原油が噴き出して、大きな利益を上げることがあります。
すると、その一時的な生産量や利益を基準に、
「これだけの利益を上げているのだから、今後も同じように稼げる」
「さらに生産量が増えれば、利益ももっと増える」
といった期待を抱かせることができます。
しかし、石油や鉱山には当然ながら資源の制約があります。
一時的に高い生産量を記録したからといって、それを長期間維持できるとは限りません。
むしろ、その生産量を維持・拡大するには、新しい油田や鉱床を発見し続ける必要がある場合もあります。
グレアムが問題にしているのは、一時的な利益を将来も続く恒常的な収益力のように扱うことです。
金鉱会社でも同じ問題が起きた
1933年に行われた金鉱会社の証券発行にも、似たような問題が見られました。
その中には、かつて実際に金を産出していたものの、良質な鉱石を掘り尽くしたため、すでに利用されなくなっていた鉱山も含まれていました。
こうした企業では、
- これまでにどれだけ大量の金を生産してきたか
- 鉱山開発や設備にこれまでどれだけ巨額の資金を投入してきたか
といった数字を強調することができます。
これらの数字そのものは、必ずしも嘘ではありません。
しかし、過去に大量の金を生産したことと、これからも大量の金を生産できることは別問題です。
ここが重要なポイントです。
例えば、過去の累計生産量が非常に大きくても、良質な鉱石がすでに掘り尽くされていれば、将来の収益力は大きく異なります。
つまり、
「過去にどれだけ稼いだか」
ではなく、
「これからどれだけ稼げるのか」
を見る必要があります。
これは、グレアムが企業分析で繰り返し強調している考え方ともつながります。
「過去の実績」と「将来の収益力」を混同しない
- これら証券に支払われる金額のうち発行体の資金とされるのは数分の一にすぎず、残りは証券のプロモーションや販売費用に充てられるのであれば、奇跡でも起きないかぎり、大衆投資家が投資金額に見合う価値を得られるべくもないのは言うまでもない。
金価格が上昇していること自体は、金鉱会社にとってプラス材料になる可能性があります。
しかし、その材料がプロモーターや販売員によって過度に強調されれば、投資家は企業の本当の価値を見失ってしまいます。
例えば、実際の価値が1ドル程度しかない株式を、投資家が5ドルで購入するケースです。
投資家は5ドルを支払っているのに、そのうち企業そのものに帰属する価値は1ドルしかありません。
さらに、投資家が支払った5ドルのすべてが会社に入るわけではなく、その一部が証券の販売やプロモーションの費用として消えていくのであれば、状況はさらに厳しくなります。
グレアムの表現を借りれば、石油や鉱山の世界でさえ、こうした価格差を埋める「奇跡」はめったに起こりません。
成長産業だからといって、高い株価が正当化されるわけではない
- 新興の分野で利益を上げた企業や、さらには設立直後に利益を上げた企業に関してさえも、その利益があたかも永続し、将来的には増益するかのように喧伝されることもある。
こうした証券プロモーションは、石油や鉱山に限られません。
大衆の関心を集める新しい産業であれば、どこでも利用される可能性があります。
特に危険なのは、設立して間もない企業が一時的に高い利益を上げた場合です。
その利益が、
「一時的なものではなく、今後も続く」
さらに、
「これからますます増えていく」
と宣伝されれば、投資家は高い株価を正当なものだと考えやすくなります。
しかし、設立直後の数年間に高い利益を上げたことだけでは、その利益が長期間維持できるとは判断できません。
むしろ、企業の収益力を評価するときには、
- その利益は一時的なものではないか
- 競争によって利益率が低下しないか
- 資源や鉱山の枯渇はないか
- 追加投資をしなければ現在の利益を維持できないのではないか
- 過去の利益と将来の利益を混同していないか
といった点を確認する必要があります。
名門投資銀行が関与することの問題
さらにグレアムが興味深い指摘をしているのが、有名な投資銀行が関与すること自体が、投資家に安心感を与えてしまう問題です。
仮に、その投資銀行が提示した個別の取引条件に明確な不正がなかったとしても、その企業の株式公開を扱うことによって、
「有名な投資銀行が関わっているのだから、ある程度信頼できるだろう」
と投資家が考えてしまう可能性があります。
すると、本当に問題のある発行案件まで、同じような条件で受け入れられやすくなります。
つまり、投資銀行の名前そのものが、証券の品質を保証するかのような役割を果たしてしまうのです。
ここでグレアムが問題にしているのは、単純な「詐欺か、合法か」という二択ではありません。
合法的に開示された情報を使いながら、実態以上の価値を持つように見せて、高い価格で証券を販売することもできる
という点です。
だからこそ投資家は、目論見書に何が書かれているかだけでなく、
「その企業は実際にどれだけの価値があるのか」
「現在の利益は将来も維持できるのか」
「その株価は企業価値に対して高すぎないか」
を自分自身で分析する必要があります。
非倫理的な投資銀行が企業経営に与えた影響
- 1920年代後半に投資銀行の規範が緩んでしまったことによって、また受取報酬を増やそうとする彼らによって巧妙な手法が用いられたために、企業経営の世界は深刻な影響を被った。
- 執行役員たちは、自分たちには手厚い給与を受け取るだけでなく、企業の上げる利益の十分なる分配にあずかる権利があるものと考えていた。
1920年代後半になると、投資銀行の業務慣行にも変化が見られるようになりました。
投資銀行が自らの報酬を増やすために、より複雑で巧妙な取引を利用するようになったことで、その影響は証券市場だけでなく、企業経営の世界にも及んだとグレアムは指摘しています。
その一つが、経営陣への高額な報酬です。
当時は、成功した大企業の経営者が、通常の給与だけでなく、企業が生み出した利益の大きな部分を自分たちも受け取ることが当然だと考える風潮が強まっていました。
もちろん、優れた経営者が企業の成長に大きく貢献したのであれば、高い報酬が必ずしも不合理とは限りません。
実際、グレアムも「経営陣がどれだけ企業の成功に貢献したのか」を評価しなければ、報酬の妥当性を判断することは難しいとしています。
問題は、その高額な報酬がどのような方法で決められ、株主にどこまで知らされていたのかという点です。
ストックオプション・ワラントが報酬に利用された
- だが、経営陣がこうした巨額の賞与を確保するに当たり、株主にきちんとした報告がなされないまま、正道を外れた疑問の余地がある手段がしばしば用いられたということについては、否定できないかもしれない。
- 安い価格で株を購入することができるストックオプション・ワラント(つまり行使期間の長い新株引受権)は━━株主と経営陣の関係について論じた箇所ですでに指摘したように━━結果として、こうした目的で用いられる格好の道具にされた。
特に問題となったのが、ストックオプション・ワラントです。
これらは、将来、あらかじめ決められた価格で株式を購入できる権利です。
例えば、現在の株価が10ドルなのに、経営陣が5ドルで購入できる権利を与えられているとします。
その後、株価が20ドルまで上昇すれば、5ドルで買って20ドルで売ることができるため、1株あたり15ドルの利益を得られます。
このような権利には、当然ながら経済的な価値があります。
そのため、経営陣に低い価格で大量のストックオプションやワラントを与えることは、単なる「福利厚生」ではありません。
企業の価値の一部を経営陣へ移転することと同じような経済的効果を持つ場合があります。
そして問題なのは、こうした報酬が株主に十分に説明されないまま設定されるケースです。
表面的には「経営者の給与はそれほど高くない」と見えても、裏では大量のストックオプション・ワラントが付与されていれば、実際の報酬額は大きく異なります。
なぜ投資銀行が関係してくるのか
ここで、前の話につながります。
投資銀行が企業の資金調達を支援する際、企業経営陣との距離が近くなりすぎると、投資家の利益よりも、経営陣や投資銀行自身の利益を優先する余地が生まれます。
例えば、
- 経営陣に有利なストックオプション・ワラントを付与する
- 株式発行条件を複雑にする
- 経営陣への報酬を分かりにくくする
といった方法です。
これらが適切に開示されなければ、一般株主は自分たちの持分がどれだけ経営陣へ移転しているのかを把握できません。
つまり、投資銀行の問題は単なる「手数料が高い」という話にとどまりません。
投資銀行と経営陣の利害が結びつくことで、企業価値の一部が株主から経営陣や関係者へ移転する仕組みが作られる可能性があるということです。
だからこそ徹底した情報開示が必要になる
- このような事柄については、継続的に徹底した公表を行うことが、理論上求められるのみならず、現実上も有益である。
では、こうした問題をどう防ぐべきなのでしょうか。
グレアムが重視するのが、継続的かつ徹底した情報開示です。
経営陣が受け取る給与や賞与だけでなく、
- ストックオプション・ワラント
- 株式による報酬
- その他の特別な報酬
- それぞれの取得価格や条件
まで明らかにする必要があります。
1934年2月に連邦取引委員会が連邦議会へ提出した報告書には、1929年から1932年にかけて大企業の役員に支払われた給与や賞与について、大量のデータが掲載されていました。
このように経営陣への報酬を継続的に開示し、その金額や条件を外部から検証できるようにすれば、過大な報酬に対する社会的なチェックも働きやすくなります。
グレアムが期待しているのは、まさにこの仕組みです。
報酬を隠すのではなく、すべて明らかにすることで、株主や社会がその妥当性を判断できるようにする。
投資家が見るべきなのは「給与」だけではない
この話は、現代の企業分析にも応用できる視点があります。
企業の役員報酬を見るとき、「役員報酬が何億円だった」という数字だけを確認しても十分ではありません。
重要なのは、
「その報酬がどのような形で支払われているのか」
です。
現金給与や賞与だけでなく、株式報酬やストックオプション・ワラントなども含めて考える必要があります。
特に株式やオプションによる報酬は、株主との利害を一致させる目的で利用されることがある一方、条件によっては既存株主の持分を希薄化させたり、企業価値の一部を経営陣へ移転したりする可能性があります。
したがって、企業分析では「経営者への報酬が高いか、低いか」だけで判断するのではなく、
「その報酬に見合う価値を経営陣が生み出しているのか」
「株主に十分な情報が開示されているのか」
「ストックオプション・ワラントによって、既存株主の利益がどの程度影響を受けるのか」
まで確認することが重要です。
グレアムが問題にしているのは、高額報酬そのものというより、株主が十分に知らないところで、企業価値の一部が経営陣や関係者へ移転してしまう仕組みなのです。
まとめ
重要なポイントは、次のとおりです。
- 株式とワラントを組み合わせた資金調達:ワラントには経済的価値があり、その付与によって既存株主や普通株主に帰属する価値が希薄化する可能性がある。
- 資金調達コストの実態:表面的な引受手数料だけでなく、オプションやワラントなどの報酬も含めて、企業が実際に負担するコストを把握する必要がある。
- 経営陣への報酬:高額な報酬そのものではなく、提供される経営能力や成果に見合っているかが重要である。
- 投資銀行との利益相反:投資銀行が投資家の利益を守る立場と、証券発行側から利益を得る立場を兼ねると、投資家に不利な条件が生まれる可能性がある。
- 情報開示の限界:情報が開示されていても、投資家自身が証券の価値や発行条件を分析できなければ、十分な保護にはならない。
- IPOの企業価値分析:企業の将来性だけでなく、募集価格、実際の調達額、引受手数料、オプション、既存株主の売出しなどを確認する必要がある。
IPOでは、企業の成長性だけでなく、誰がどのような条件で利益を得るのかという視点も欠かせません。
おわりに
今回は、グレアムが批判した株式とワラントを組み合わせた資金調達や、投資銀行と経営陣の利益相反について解説しました。
特に印象的なのは、投資家が支払ったお金のすべてが、企業の事業に使われるわけではないという点です。
引受手数料やワラント、経営陣への報酬などを考慮すると、表面的な募集価格だけでは、投資家が実際にどれだけの価値を受け取っているのか判断できません。
これは現在のIPOにも通じる考え方です。
もちろん、現在は当時と比べて情報開示制度や引受審査などの仕組みが整備されています。
しかし、制度が整っているからといって、証券の投資価値まで保証されるわけではありません。
大切なのは、企業の将来性や成長期待だけに目を向けるのではなく、投資家が支払う価格に対して、実際にどれだけの価値を受け取れるのかを自分自身で分析することです。
グレアムの教えに従い、IPOでも企業価値と株価を比較し、安全域を意識した投資判断を心がけたいですね。
↓押していただけると更新の励みになります。