歴史を振り返ることは、時に気づきとなることがあります。
今回も本書が出版された時の経済状況を振り返りながら、現状は投資をどのように行うべきか考えていきたい思います。
4、1964年:高すぎる
- 続く文章のなかでは、1964年11月の株価水準(ダウ平均は892)の評価を試みた。
- それに関してさまざまな角度から学術的に論じた後、大きく三つの結論に達した。
- その第一は「かつての評価基準がもう過去のものとなったようにみえる一方で、新たな基準は時間による証明がなされていないのでまだ真偽のほどは分からない」。
- 第二は、投資家は「自らの投資方針の基本には、大きな不確実性の存在を据えるべきである。株価水準が長期にわたって大きくー例えば、50%、つまりダウ平均が1350にー上昇するという極端な可能性がある一方で、同じだけ逆に振れてダウ平均が例えば450近辺まで下落するという可能性もある」。
- 第三の結論は「荒っぽい言い方をすれば、もし1964年の株価が高すぎる水準ではないとすると、一体どんな株価ならば高すぎるといえるのだろうか」。
グレアムは不確実性が高いと前置きしつつも、1964年の株価水準は高すぎると判断しました。
そして次のような文章で締めくくりました。
どの道を行くべきか
- 投資家のみなさんは、単にこの本の内容を鵜呑みにして1964年の株式市場の水準が危険な高さにあるとの結論を下すべきではない。
- みなさんはわれわれのこの考え方と、われわれと意見が異なる経験豊かで有能なウォール街の人々の説とを、比較考量しなくてはならない。
- 最終的には各人が自ら結論を下し、その結論に対して責任を持つべきである。
- しかし、どの道を選ぶべきか迷っている投資家がいれば、慎重な方針を取ることを勧める。
とはいえグレアムも自分の意見を鵜呑みにしろとまでは言っていません。
なぜならグレアムの意見も過去に外れていることがあったからかと思います。
しかしながら、迷える投資家たちには慎重になるべきと述べています。
慎重な投資方針とは
本書で述べた中で、1964年の状況下で重要度の高い順に投資原理を挙げたものが上記のとおりです。
当たり前ですが慎重な行動を促しているため、信用取引や株の買い増しを行わないよう説いています。
またアセットアロケーションを行なって、株式をある程度は利確して債券や預金に振り替えるように説明しています。
ドルコスト平均法
- 後述のドル・コスト平均法を一定期間にわたって着実に実行してきた投資家は、その定期的投資法を続行するか、あるいは市場水準がもう危険な域を脱したと思える時が来るまで、それを休止するのか、論理的にはどちらを選んでもよいであろう。
- ただし1964年末のような相場の水準のときに、決して新たにドル平均法を始めるべきではない。
- もしも始めてすぐに非常にまずい結果となれば、多くの投資家はその後もなおそれを続行しようという気力を持ち続けられないだろうからである。
少し話は脱線しますが、グレアムはドルコスト平均法を使っている投資家に注意を促しています。
特に今からドルコスト平均法を始めようとする新米投資家には、やめるように諭しています。
株価がイケイケの時はドルコスト平均法はやりやすいでしょうが、逆に動いた時に続けられるかはメンタルによります。
個人的にもかなりの確率で投資をやめてしまうと思っています。
ドルコスト平均法を始めるなら、今のように投資を連呼するような状況で行ってはいけません。
結果
- このときにわれわれが慎重論を展開したのは、正しかったということができる。
- ダウ平均はさらに上昇して995まで付けたが、その後は不規則な値動きを見せながら1970年には632まで下げ、その年の年末は839で引けた。
- 同様の大暴落は「新規公開株」の世界でも起きた。
- そして序文で述べたように、金融界全体が熱気を失い、懐疑的な空気に支配されてしまったようであった。
- それを象徴するような事実がある。
- ダウ平均の1970年の引け値は6年前の水準以下であり、これは1944年以来、初の出来事だったのである。
この時のグレアムの慎重論は、正しい方針だといえました。
ダウ平均は最高値995まで付けましたが、その後は1970年に632まで下げます。
強気一辺倒であったウォール街も、懐疑的な空気が流れ始めました。
5、1971年;高すぎる
- 同市場の1971年10月における過去3年の株価収益率は、1963年末と1968年末のそれよりも低い。
- それは1958年の数値に近いが、長期にわたる強気相場の初期のころと比較すればかなり高い。
- これは重要な指標であるが、これだけで1971年1月の相場水準が特に高かったと結論づけることはできないかもしれない。
- しかし優良債券の利回りを考えれば、この指標はさらに好ましくないものと映る。
- 当初株の配当は債券利回りの2倍であったのが、今や債券は株の2倍以上の収益を生み出しているのである。
- われわれの最終結論はこうだ。つまり、株式配当と債券収益が逆転してしまったことによって、1971年終わりにおける株価収益率が、過去3年の収益ベースのPERを上回っていたという事実が、完全に相殺されてしまったということである。
- よって1972年初めの相場水準に関するわれわれの見解は、7年前に述べた見解とほぼ同様になるであろう。
- つまり、保守的投資という観点に立てば、魅力のない相場だということだ。
株式配当より債券利回りの方が大きかったので、普通株の魅力は相対的に劣っていたといえます。
つまり保守的投資の観点から見れば、普通株式については魅力のない相場でした。
今後どうなるか
- 1971年の状況を歴史的に見れば、相場の変動という点では、1969〜70年の深刻な景気後退に対する変則的回復にすぎないように映ることであろう。
- だが過去においては、そうした回復が1949年に始まった周期的かつ持続的な強気相場のように、新たな段階への第1歩となっている(これが1971年のウォール街が抱いていた期待の念である)。
- 1971年はまだ、1968年〜70年のサイクルにおいて質の低い普通株に手を出した一般投資家たちが手痛い目にあったばかりであり、相場が急騰するには時期が早すぎる。
- したがって、今や相場における差し迫った危険を示す信頼できる指標がないということだ。
- 前回の版で考察した、ダウ平均が892という水準だった1964年11月の状況と同じなのである。
- しかし思考をさらに進めなければならない。われわれにとっては、1971年初めの相場がほんの一年以内に起きた悲惨な出来事を無視しているということが、不穏の兆しなのである。
- そんな相場の無頓着さがそのままで済まされるものだろうか?
- 投資家は行く先々で待ち受けるー1969〜70年に起きた後退が短期間で再現される形で、あるいは相場に強気の風が吹き荒れた後でさらに壊滅的な崩壊へと続く形で訪れるかもしれないー困難な状況に備えておくべきなのである。
では今後の相場を、グレアムはどのように予想したのでしょうか?
一時的後退が起こった後の1971年でしたが、普通株熱は冷めることはありませんでした。
グレアムはこの相場を、狂気に満ちた高すぎる相場と判断しました。
そのため、魅力のない株式相場であり、賢明なる投資家は引き続き保守的な指針を取るように説いています。
まとめ
おわりに
せっかくなので、私も今の株式市場の水準について分析して、どのように株式投資を行うべきか考えてみたいと思います。
現状、投資は危険と唱える方は少ないように思えます。
なぜなら新NISAやiDeCoといった資産運用をマスコミが奨励するかのような風潮があるからです。
それゆえ少なくとも、グレアムが提唱するアセットアロケーションの上限である、全資金の75%程度を株式に振り分けるのは適切とはいえないでしょう。
では、今の株式市場の水準は危険と言えるでしょうか。
たしかに日欧米いずれもが過去最高値を更新しており、お買い得な水準とはいえないかもしれません。
また、欧米の債券利率も高止まりしており、株式の魅力が相対的に低下しております。
とはいえ、1949年の時と同様にこの強気相場が続く可能性も否定できません。
欧米の中央銀行も利下げの時期を言及しているくらいです。
以上を考慮すると、1964年にグレアムが説明した慎重な投資方針を取りながら、全資金の50%を上限に普通株式に投じるのが無難といえないでしょうか。
残りは債券や預金等で運用しておき、いざという時の余裕資金として待機しておくのです。
人生何が起こるかわかりません。
ほんの数年前にコロナショックが起こったばかりです。
これから先も予期せぬことが起こる可能性もやはり否定できないのですから、無難に運用していく方針は悪くはないと思っています。